2015年1月18日日曜日

参加者からの感想1

第1回、第2回のママカフェ@宇都宮にご参加いただいたママから、感想文をいただきました。
幼稚園の園長先生宛にお手紙を出す宿題が冬休みに出されたそうです。
その手紙にママカフェで学んだことを書かれたそうなので、その一部を抜粋して紹介させていただきます。




私にとって子育ては修行のようです。
今までに味わったことのない苦悩、困難、また、喜び、感動。 それらが表裏一体となって丸ごと味わっているような毎日です。
息子(3歳、1歳)たちとのかかわりの中で起きる出来事(試練)一つ一つに、私自身も新しい自分を発見(直面)している日々です。まるで修行です。

今までは、接する相手は大人ばかり。人と衝突しそうな場面があったとしても、オブラートに包んだり互いに大人な対応をするので、感情のボルテージが振り切れるようなことはそうそうありませんでした。
しかし、相手が子供で、ましてや自分の子となると、素の自分が見えてきます。
それでも上の息子が赤ちゃんの頃はまだ余裕があったのですが、上の息子に自我が芽生えた頃から、私の理想通りにいかないときや、心の余裕がないときに表れる、苛立ちや怒りの感情の強さ、また、そのときとっさにとっている行動(怒り方や言葉かけ)はあとから反省すべきものであったり自己嫌悪に陥ることもしばしばあります。
自分の本性を知ることのできるこんな機会は、他にはまずないと思います。

苛立ちも、怒りも、こんなに誰かに腹を立てたことは今までありませんでした。
それは相手が自分の子供だからで、「こうあってほしい」、あるいは「こうあってほしくない」という思いが他の誰よりも強く、ゆずれないからだろうと思います。

しかし、自分の子であっても自分自身の人生ではない。そのことを忘れ、つい理想を掲げて前を先導し、レールを敷くような育て方になってしまいがちなのですが、息子たちを一人の別の個人として捉え、その個を尊重することを忘れず、その成長のサポーターとして寄り添っていくスタンスに立ち返るよう気をつけたいと思っています。


先日、心理学の選択理論という分野について学ぶ機会がありました(ママカフェのことです)。そこでは、「自立」というものを「自分で考えて自分で行動できること、自分の欲求を自分で満たせるようになること」と考えると聞きました。
また、”相手は変えられない。変えられるのは自分だけ。相手をコントロールしようとせず、またコントロールされる人(=指示待ち人間)にならない。”とも聞きました。
その話を聞いた時、そういう意味では大人になっても自立できてない人はたくさんいるように感じ、子供であっても、自立した人間になるために親がサポートできることはいろいろあるなと思いました。子供をコントロールしない、子供にコントロールされないように気をつける。が最近の私のテーマです。
(すでに多くの教育現場、精神病院、ビジネスの場で実践され効果を上げている選択理論心理学ですが、教育現場に携わる方々には特に学んでいただきたいと願っています。)

今、3歳の息子は、本当の「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えない時期にいます。
落としたものを拾ってもらった時の、軽い「ありがと!」や、ぶつかってしまった時など「わ、ごめん」などは言えるのに、お友だちとケンカした時や、自分のために何かしてもらったときなど、面と向かって言わなければならないシーンになると、もじもじしてしまって出てこないのです。
じれったいこともしばしばあるのですが、「ごめんなさいは?」とか「こういうときはありがとうでしょ」と言わないように気をつけています。その場を取り繕って表面的いい子風に育ってしまっては困ります。
「ありがとう」「ごめんなさい」
何を言えばいいのかは、息子はもうわかっています。
表面的に教えるのではなく、中身を育てたいという思いを忘れず、これからも頑張って待ちます。中身が育つまでには時間がかかってあたりまえ、と自分に言い聞かせながら...

そう考えると、子どもを育てているというよりも、息子に人間として鍛えられているように思います。

子育ては、やはり人として成長するための修行です。


0 件のコメント:

コメントを投稿